お米とお箸は「文化」として守り、食料は「仕組み」で守るという考え方
近ごろ、食料問題や物流リスクが話題になることが増えてきた。
戦争のような極端な状況でなくても、災害や人手不足、国際情勢の変化によって、物流が一時的に機能しなくなる場面はこれからも起こり得る。
そんな中で、「何をどう守るのか」を整理して考える必要があるように思う。
まず現実論として、日常の食料供給は、必ずしもすべてを国内生産にこだわる必要はない。
世界中から食材が安定して入る今の時代、効率や分散を重視するのは合理的だ。
有事や物流リスクへの備えについても同様で、
必ずしもお米だけに依存する必要はなく、
成長が早く効率の良い作物や、山間部での魚の養殖、植物工場による自動生産など、
分散型で回復力の高い仕組みを用意しておく方が、むしろ強い。
これは「自給率」の話というより、
食料レジリエンス(止まりにくく、立ち直りやすい構造)の設計だと思う。
一方で、お米については少し違う見方がある。
お米は、日本人にとって単なる炭水化物ではない。
田植えや収穫、神事、年中行事、「ごはん」という言葉そのものまで含めて、
日本人の暮らしや精神と深く結びついている存在だ。
同じことは、お箸にも言える。
効率だけを考えれば、フォークやスプーンで十分かもしれない。
それでもお箸を使い続けてきたのは、
食材を尊重し、所作を大切にし、誰かと分け合うという価値観が、
日常の中に自然と組み込まれているからだと思う。
だからこそ、
お米とお箸はインフラとしてではなく、文化として守る。
食料供給は技術と仕組みで支え、
米と箸は精神性やアイデンティティとして次の世代へ伝えていく。
この切り分けができれば、
経済合理性と文化の継承は、無理なく両立できる。
食べ続けられる仕組みを持ちつつ、
日本人であることを思い出せる文化を残す。
それが、これからの時代にふさわしい食の在り方なのかもしれない。

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