アメリカの食洗機と日本のウォシュレット──灯台下暗しの不思議
情報は届いていたのに、なぜ動かなかった?
いまはインターネットがあり、情報が一瞬で国境を越える時代。
船や飛行機でしか行き来できなかった頃とは違い、
「食洗機は便利」「ウォシュレットは快適」という知識は、すでに世界中に広まっていました。
それなのに、なぜ人々はすぐに行動せず、普及までに何十年もかかったのか?
その理由は技術の遅れではなく、人間の思い込み(バイアス)だと思います。
事例① アメリカの食洗機は“70年代からの標準”
アメリカでは1970年代から食洗機の普及が一気に加速しました。
郊外住宅の拡大、共働き世帯の増加、大皿文化などが後押しとなり、
1980年代には新築住宅で「ほぼ標準装備」となりました。
いまでは普及率70〜80%以上。
「食器を手洗いする方が珍しい」というほど、生活に根付いています。
一方、日本では…
キッチンが狭い
水道代が高い
食器が小さい
こうした事情から「食洗機=贅沢品」というイメージが長く続きました。
「便利なのは分かるけど、自分には必要ない」と考えてしまい、行動には移らなかったのです。
事例② 日本のウォシュレットは“80年代からの標準”
日本では1980年にTOTOが初代ウォシュレットを発売。
「おしりだって洗ってほしい」というCMが話題となり、80年代から普及が進みました。
2000年代には家庭や公共施設で急速に浸透し、今や標準装備と言える存在です。
しかし北米では…
「紙で十分」
「トイレに電源や配管がない」
「高級ホテルの設備」
という思い込みが強く、普及は何十年も遅れました。
情報として便利さを知っていた人も多かったのに、「高すぎる」「面倒」「特別な人向け」と脳が勝手に言い訳をつくり、実際の行動にはつながらなかったのです。
コロナ禍でトイレットペーパーが不足したとき、ようやく人々はその便利さを“実体験”として意識し、需要が爆発的に広がりました。
共通点:灯台下暗し
アメリカ人にとって食洗機は「当たり前すぎて特別な価値に気づかない」
日本人にとってウォシュレットは「当たり前すぎて世界的に珍しいことに気づかない」
そして両者に共通するのは、情報があっても“言い訳の壁”を越えない限り行動しないということです。
まとめ:人間は合理的ではなく、思い込みで動く
便利だと情報では分かっていても、
「値段が高い」
「取り付けが面倒」
「一部の人の高級品」
と脳が勝手に言い訳を作り、行動を止めてしまう。
だからこそ、船や飛行機でしか行き来できない時代ではないのに、商品化や普及に何十年もの時間がかかったのです。
実際、ウォシュレットは日本で一気に普及したのに対して、食洗機は「贅沢品」のレッテルや生活習慣のバリアに阻まれて、長らく広まらなかった。
ウォシュレットがこれだけ普及しているのだから、食洗機ももっと早く普及していてもおかしくなかったはずです。
それでも現実はそうならなかった──。
このギャップこそが、人間の合理性よりも「思い込み」の方が強く働くことを物語っています。
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