「ダサい」がカッコいい?

「ダサい」がカッコいい?



【逆転する美意識と新しいトレンドのかたち】

最近、「あれ、これダサいけど逆にイケてる…?」と感じる場面が増えていませんか?ファッション、音楽、デザイン、SNSの表現に至るまで、かつて「ダサい」とされていたものが、今や「かわいい」「おしゃれ」と評価されるようになっています。一見チープで古臭いものが、若者文化の最前線で再解釈され、新たな価値を持ち始めているのです。

たとえば、Y2K(2000年代初頭)ファッションのリバイバル。ラメ入りのアイシャドウ、ローライズジーンズ、キラキラのガラケー風スマホケースなど、ひと昔前には「ちょっと恥ずかしい」とされていたアイテムが堂々と復活し、Z世代に大人気です。あるいは「ダッドスニーカー」と呼ばれる、父親が履いていそうな無骨で分厚いスニーカーも、今やストリートファッションの定番。これらはどれも、かつての“ダサい”の象徴だったはずです。

この「ダサさの再評価」は、単なるノスタルジア(懐古主義)ではありません。むしろ、洗練された「正解」ばかりを追求してきた社会へのカウンターでもあります。Instagramで完璧に整えられたライフスタイル投稿や、ミニマルで無機質なデザインが溢れる時代だからこそ、「ズレている」「ちょっと変」「やりすぎ」なものが、逆にリアルで人間らしく、魅力的に映るのです。

【勇気あるパイオニア】

そして、この現象の背景には「自己表現の自由」があります。昔は「これはダサいからやめよう」と、他人の目を気にする風潮が強かった。でも今は、「自分が好きならいいじゃん」という価値観が浸透し、個性の押し出しが歓迎されるようになりました。あえてダサいものを選ぶことが、むしろセンスを示す手段になっているのです。

結局のところ、私たちは「何がダサいか」を再定義し続けています。そしてその定義は、時代とともに、文化の中で常にアップデートされるもの。だから今、「ダサい」がトレンドになるのは、ある意味とても自然な流れとも言えるでしょう。

「ダサい=カッコ悪い」はもう昔の話。今の時代、「ダサい」は自分らしさを表現する一つの選択肢であり、それ自体が“オシャレ”なのです。

【SU-METAL:ダサくても、自分の信念を貫き通す!】




現場からは以上です!!



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